スタッフ紹介

◆ 院長プロフィール 

     はじめまして、こんにちわ!

    ひぐらし鍼灸院の院長をしております

    ◆ 岡  淳子 (おか じゅんこ)と申します!

   三重県津市の出身です。

   趣味は、旅行、読書、ドライブ、ガーデニング、書道です。

   鍼灸学校を卒業後は、地元のリラクゼーションのお店に入り
   6年程、セラピストとして活躍しました!

   鍼灸師としての経歴と合わせると、15年程になります。
   まだまだこの業界では新人ですが、生涯現役を目指して
   日々奮闘中です。

   どうぞよろしくお願いいたします♪

【資格】 はり師 きゅう師 免許
     介護職員初任者研修(ヘルパー2級)

  ✳︎日本メディカル美容鍼協会(JMCAA)会員  上級マスター認定技術者

   

◆ 経歴 

私は高校卒業後、鍼灸の専門学校であるユマニテク東洋医療専門学校(現ユマニテク医療福祉大学校)に入学して、はり師、きゅう師の免許を取るために3年間通学しました。

当時のユマニテク東洋医療専門学校は、新設されたばかりの専門学校で、私はそこの1期生として
入学しました。

出来立ての学校ですので、先生たちも戸惑いながらも何とか私たちに鍼灸の知識や技術を教えようと
奮闘されていたのだと、今になってわかるようになってきましたが、当時はこんなんで本当に大丈夫
なのだろうかと思った記憶があります。

そもそも私が鍼灸師になろうと思ったきっかけは、なにか特別な理由があったわけではありません。

当時、親からは手に職をつけなさい。医療系がいいわよ。と言われていたくらいで、
自分から「将来何になりたい」や「どこどこの大学に行きたい」などの
明確な目標や、将来のビジョンがあったわけではありません。

唯一、ちょっといいなと思っていた警察官は身長制限のため、箸にも棒にも掛からぬ
有様でした。女子は155cmから募集だったのです。
私は146cmの立派なドワーフ体型です。

当時の自分の気持ちを表すならば、「特になにもしたくない」といったところだったと思います。

なので、親の言われるがままに作業療法士の学校(実はそこもユマニテクでした)に願書を
出したのですが、出したその数日後に、なんと運命の出会いが訪れました。

そもそも作業療法士になるという事に対して「面白くないな」と思っていた矢先のことです、
進路指導室の壁に貼ってあった「鍼灸」の専門学校が新規開校するというポスターをみつけたのです。

「なにこれ、面白そう!!」

思えば小学生の頃より、田中芳樹さんや小野不由美さんの書かれる中華ファンタジーを愛読書と
していたので、どこかでそういう中国系のものにあこがれを抱いていたのだと思います。

俄然、やる気が湧いてきたのですが、残念ながら願書を出した後です。
願書を出した後では、取り下げてほかの学校に申し込みはできないと思っていました。

実際に、「これ、面白そう!」「ここに行きたかったな~」という私の独り言を聞いていた友人達が、
担任の先生に願書の変更はできないのかと聞きに行ってくれていました。
案の定、駄目でした…。当然です。

ですので、とても残念でしたが、不思議と「まあ作業療法士の学校に通って、そのあと、自分で鍼灸の学校に通い直せばいいや」と思ったのを鮮明に覚えています。

そんなこんなで、数日後、またもや奇跡が訪れます。

当時、国語の担当教諭の先生が、進路指導もされていたそうなのですが(知らなかったのです)
私の授業態度が良いということで、先方の学校に問い合わせをしてくれていたのです。
よく「字がお上手ですね」と褒めていただいたことを覚えています。

作業療法士の学校も、鍼灸の新規開設の学校も同じユマニテクだったというのもあり、
願書の変更を先方が受け付けてくれたのです。

日曜日の学校に、いますぐ変更しに来てください、と親同伴で呼び出され
担任の先生から怒られながら願書を出しなおしたのでした。

今思えば、特にやりたいことがなかった自分に、奇跡の連続で学校に通うことが出来、
一度は鍼灸の道を外れていったのにも関わらず、こうして鍼灸師として自分の店を
開くことが出来、細々とではありますが、鍼灸で生活ができているのはここまで
導いて下さった沢山の方のおかげなんだと感謝しております。

今の人生の目標は、死ぬまで現役、より多くの方に鍼灸、東洋医学の魅力を少しでも
お伝えして、輝ける人生の栄養分にしていただく事です。

ここまで読んでいただけるような物好きな方が、どれだけいらっしゃるのか分かりませんが
せっかく当院のHPを覗いてくださっているのですから、こういう人間もいるんだな、と
思って時間つぶしにでもしていただけたら幸いです。ありがとうございました。


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